【歴史】ロシア革命とはどのような出来事か?

社会

世界の歴史を学びなおそうとしている筆者です。
今回は「ロシア革命」について復習がてら、まとめてみました。

ロシア革命とはどのような革命だったのか?

ロシア革命は、1917年にロシアで起こった2つの重要な政治革命を指します。これにより、帝政が終わり、共産主義体制が樹立されました。以下が簡単な説明です。

二月革命(1917年3月)

  • ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで発生。
  • 労働者のストライキや市民の抗議が拡大し、兵士たちも反乱に参加した結果、ロマノフ朝のニコライ2世が退位。
  • 暫定政府が成立したが、戦争や国内問題を解決できず、不安定な状態が続く。

十月革命(1917年11月)

  • ボリシェヴィキ(レーニン率いる共産主義勢力)が主導して、暫定政府を倒し、権力を掌握。
  • 世界初の共産主義国家、ソビエト連邦(ソ連)が誕生。
Cropped portrait of Vladimir Lenin (1870–1924), Marxist revolutionary and leader of Soviet Russia and the Soviet Union from 1917 to 1924.

ウラジーミル・レーニン

・本名:ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ
・生年月日:1870年4月22日(1924年1月21日 没)
・出身地:ロシア帝国シンビルスク
・思想:マルクス主義を基礎にした社会主義革命を提唱。
・ボリシェヴィキの指導者:ロシア社会民主労働党内でボリシェヴィキ派を率い、革命の指導的役割を担った。
・「四月テーゼ」:1917年に発表し、「すべての権力をソビエトへ」と呼びかけて革命の方針を示した。
・十月革命:1917年にボリシェヴィキを率いて臨時政府を打倒し、ソビエト政権を樹立。
・初代ソビエト政権の首相:1917年から1924年までソビエト・ロシアの指導者として社会主義体制を構築。
・政策:土地の国有化、労働者の工場管理、平和の即時締結(ブレスト=リトフスク条約)などを推進。
・遺産:後にスターリンによって独裁体制へ移行したが、レーニンの革命と理論は共産主義運動に大きな影響を与えた。

この革命は、社会的・経済的な不満、第一次世界大戦による負担、そして政治的抑圧などの要因が組み合わさって発生しました。その結果、ロシアは帝政から共産主義へと転換し、20世紀の世界史に大きな影響を与えました。

なぜロシア革命は起きたのか?

ロシア革命は複雑な要因が重なり合って発生した出来事であり、以下のような主な原因が挙げられます。

1. 社会的・経済的格差

  • 農民の不満
    ロシアは広大な農村社会で、多くの農民が地主のもとで貧しい生活を送っていました。土地分配の不平等は長い間、農民たちの間で大きな不満を引き起こしていました。
  • 労働者階級の困窮
    産業革命の影響で都市部に工場ができたものの、労働条件は非常に悪く、低賃金・長時間労働が常態化していました。労働者の労働環境改善や賃上げを求める声は高まっていました。

2. 第一次世界大戦の影響

  • 経済的負担
    ロシアは第一次世界大戦に参戦し、大量の人命や資源を失いました。これにより、経済は疲弊し、食料や物資の不足が深刻化しました。
  • 軍隊の士気低下
    前線での連続した敗北により、兵士たちの士気が低下し、反乱や脱走が増加しました。戦争への不満が革命の引き金となった要因の一つです。

3. 政治的な問題

  • 専制政治への反発
    ロシアは長年、ロマノフ朝による専制政治が続いていました。ニコライ2世は政治的な改革に消極的であり、立憲君主制を求める声を無視していました。
  • 1905年の失敗
    1905年に起こった「血の日曜日事件」とその後の革命未遂は、一時的に議会(ドゥーマ)の設立をもたらしましたが、実質的な権力は皇帝にあり、改革は不十分でした。この不満は1917年まで持ち越されました。
血の日曜日事件

血の日曜日事件は、1905年1月22日にサンクトペテルブルクで起きた事件で、ロシア帝政に対する反発を引き起こしました。労働者約15万人がガポン神父に率いられて、皇帝ニコライ2世労働条件の改善などを求める平和的なデモを行いましたが、政府軍が発砲し、多くの死傷者が出ました。この事件により皇帝への信頼は急速に失われ、後の1905年革命や1917年のロシア革命のきっかけとなりました。

4. ボリシェヴィキの台頭と革命思想の広がり

  • マルクス主義の影響
    カール・マルクスの思想は、特に労働者や知識人の間で支持を集めていました。社会主義を基盤とした平等な社会を求める思想は、ボリシェヴィキ(レーニン率いる共産主義者)の勢力拡大に貢献しました。
  • プロパガンダと指導力
    レーニンの「四月テーゼ」やボリシェヴィキの積極的なプロパガンダ活動が、労働者や兵士に支持され、権力奪取の基盤を形成しました。

5. 臨時政府の失策

  • 第一次世界大戦の継続
    臨時政府は戦争を継続する方針を取ったため、戦争による困難が続き、民衆の不満がさらに高まりました。
  • 改革の遅れ
    臨時政府は、土地改革や食糧供給の問題に迅速に対処できず、政治的な混乱を招きました。これにより、ボリシェヴィキが「平和、土地、パン」を掲げて民衆の支持を得ることができました。

これらの要因が重なり合い、1917年の二月革命と十月革命につながりました。ロシア革命は単なる偶発的な反乱ではなく、長年にわたる不満や構造的な問題が積み重なった結果、勃発したものです。

著者プロフィール
この記事を書いた人
ロジャー

Webアプリ開発を20年近く経験し、管理職なった今も時々ソースをいじるメインは営業職の管理者。もうすぐ40代。最近は、AIを活用して少しでも仕事やプライベートを面白くしていきたいと考えているおっさんです。困った事もAIなら解決してくれるはず!?

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