完全に自分用です。興味ある人だけみてください。
時系列にまとめてみた
戦国時代の主要な出来事を、年表形式で以下にまとめました。この時代の出来事は非常に多いため、主要な戦争や政変、重要な人物の行動を中心に細かく記載しています。
- 1467年応仁の乱
概要 室町幕府の権力争いから全国的な内乱へ拡大する。戦国時代の始まり。
説明 国内の大名たちが将軍家の後継問題を巡って二つの派閥に分かれて戦った内乱
特に、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)が対立。 - 1477年応仁の乱終結
概要 室町幕府の権威は低下。各地で大名による支配が強化される。
- 1485年山城国一揆
概要 山城国(現在の京都府)で農民や武士が一揆を起こし、自治を行う。
説明 応仁の乱後、山城国では守護大名である畠山氏が内紛を続けており、戦争や混乱が絶えなかった。その結果、農民や地元の人々の生活は大きく影響を受け、これ以上の戦乱を許さないという不満が高まり一揆を起こした。 - 1493年明応の政変
概要 細川政元が将軍足利義材(後の足利義稙)を追放し、幕府の実権を握る。
説明 有力大名の細川政元が将軍足利義材を追放し、新しい将軍足利義澄を擁立した反乱。これにより、室町幕府の内部の権力闘争が激化し、将軍の権威が大きく低下することとなる。 - 1510年永正の錯乱
概要 将軍足利義稙が政権を奪還しようとするが、再び敗北。
説明 永正の錯乱は、室町幕府内の将軍足利義稙の復権を巡る権力争いと、幕府の内部抗争による混乱を指し、結果として幕府の統制力がさらに弱まる原因となった - 1517年有馬の戦い
概要 大内義興と陶隆房(後の陶晴賢)が少弐氏を討ち取る。
説明 九州北部を巡る大内氏と少弐氏の争いで、大内氏が勝利し、九州での勢力を拡大した戦い。この戦いにより少弐氏は衰退し、大内氏が九州北部を支配する基盤を固めた。 - 1521年足利義晴が将軍に就任
概要 足利義稙が失脚した後、その子である足利義晴が第12代将軍に就任
説明 就任後も幕府の力は弱体化し続け、大名の力が増していく時代の始まり - 1534年織田信長が尾張国で誕生する
概要 1534年、織田信長は尾張国の戦国大名、織田信秀の長男として誕生
- 1543年鉄砲伝来
概要 種子島に漂着したポルトガル人が日本に鉄砲を伝える。
説明 ポルトガル人が種子島に漂着し、日本に初めて火縄銃がもたらされた。この鉄砲の導入により、日本の戦国時代の戦術や戦い方が大きく変わり、その後の戦争において重要な役割を持つこととなる。 - 1549年キリスト教伝来
概要 フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝える。
説明 数名の大名はキリスト教を受け入れ保護し、貿易や技術の恩恵も得ようとした - 1555年厳島の戦い
概要 毛利元就が陶晴賢を討ち、勢力を拡大する。
説明 毛利元就は、勢力を拡大していた陶晴賢(当時大内氏の重臣)と対立していた。陶晴賢は、かつての主君である大内義隆を討ち取り、実権を握ってたが、毛利元就がそれに反抗し、両者の関係が悪化。毛利元就はこの戦いで陶晴賢を討ち取り、敵軍を壊滅。この勝利により、毛利氏は中国地方での支配力を強固なものとし、以後、毛利元就は西日本における強大な大名へと成長。 - 1560年桶狭間の戦い
概要 織田信長が今川義元を討ち取る。信長の名が全国に知られる。
説明 織田信長が少数の兵で大軍を率いる今川義元を奇襲して討ち取った戦い。この勝利によって信長は一躍有名になり、後の天下統一への第一歩を踏み出した。 - 1561年川中島の戦い(第4次)
概要 武田信玄と上杉謙信が川中島で激突。決着がつかず。
説明 武田信玄と上杉謙信が信濃国(現在の長野県)の支配を巡って川中島で激突した戦い。戦術的な駆け引きが行われ、非常に激しい戦闘となりましたが、決着がつかず引き分けに終わる。この戦いは、戦国時代を象徴する名勝負として知られている。 - 1567年「天下布武」を掲げる
概要 織田信長が稲葉山城を攻略し、岐阜城と改名
説明 織田信長が掲げたスローガンで、「天下に武(武力)を布(し)く」、つまり武力によって天下を統一するという信長の意志を表した言葉。この言葉は、彼の天下統一の目標と、戦国時代の混乱を終わらせるための方針を示していた。 - 1568年信長が足利義昭を擁立し、京都に入る
概要 室町幕府を再興。
説明 織田信長は足利義昭を将軍に擁立して京都に入り、義昭を15代将軍とした。この行動により、信長は中央政権の実権を握り、全国統一への足掛かりを築いた。 - 1570年姉川の戦い
概要 織田信長・徳川家康連合軍が浅井・朝倉連合軍を破る。
説明 織田信長と徳川家康の連合軍が浅井長政・朝倉義景の連合軍を破った戦いで、信長が勢力を拡大する上での重要な勝利だった。 - 1571年比叡山焼き討ち
概要 信長が比叡山延暦寺を攻撃。宗教勢力の力を削ぐ。
説明 織田信長が比叡山延暦寺を攻撃し、僧兵や施設を壊滅させた事件。信長の宗教勢力に対する強硬な姿勢を象徴し、彼の権力基盤を固めるための重要な出来事となった。 - 1573年室町幕府滅亡
概要 信長が将軍足利義昭を追放。室町幕府が終焉を迎える。
説明 織田信長が足利義昭を京都から追放し、将軍の権力が完全に失われたことで、240年続いた室町幕府が終わりを迎えた出来事。 - 1575年長篠の戦い
概要 織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼を破り、鉄砲の効果が証明される。
説明 織田信長・徳川家康連合軍が、武田勝頼率いる武田軍を破った戦いで、日本の戦術に大きな変革をもたらした重要な戦い。特に鉄砲を効果的に活用した戦闘として有名。 - 1579年安土城完成
概要 織田信長が安土城を築き、政治の拠点とする。
説明 織田信長が近江に築いた壮麗な城で、政治・軍事の拠点として機能た。安土城は信長の権力を象徴し、日本の城郭建築に大きな影響を与えた。 - 1582年本能寺の変
概要 家臣の明智光秀が織田信長を討つ。
説明 織田信長が家臣の明智光秀に裏切られ、本能寺で討たれた事件。信長の死によって天下統一の夢は途絶えましたが、豊臣秀吉がその後の日本統一を進める契機となった。 - 1582年山崎の戦い
概要 豊臣秀吉が明智光秀を討ち、信長の後継者として台頭する。
説明 豊臣秀吉が本能寺の変で織田信長を討った明智光秀を破った戦いで、光秀の政権は崩壊し、秀吉が信長の後継者として台頭するきっかけとなった。 - 1583年賤ヶ岳の戦い
概要 豊臣秀吉が柴田勝家を破り、勢力を確立する。
説明 織田信長の後継を巡って豊臣秀吉と柴田勝家が争った戦いで、秀吉が勝利し、織田家の実権を握るきっかけとなった。この戦いで秀吉は織田政権を引き継ぎ、天下統一への道を進んだ - 1585年豊臣秀吉が関白に就任し、全国統一を目指す。
説明 秀吉が朝廷から全国統治の権威を認められ、武士としてだけでなく正式な日本の最高権力者となった出来事。これにより、秀吉の天下統一への道がさらに強固なものとなった。
- 1587年九州平定
概要 豊臣秀吉が島津氏を降伏させ、九州を平定。
説明 豊臣秀吉が九州の大名・島津氏を降伏させ、九州全域を統一した軍事作戦。この勝利により、秀吉は日本全国統一に向けてさらに勢力を拡大。 - 1590年小田原征伐
概要 豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、全国統一を達成する。
説明 豊臣秀吉が関東の北条氏を滅ぼし、全国統一を達成した戦い。この戦いによって、秀吉は日本全土を支配下に置き、後の徳川家康の台頭に繋がる重要な出来事となった。 - 1592年文禄の役
概要 豊臣秀吉が朝鮮に侵攻(壬辰倭乱)
説明 豊臣秀吉が朝鮮(現在の韓国)に侵攻した戦いで、豊臣政権による大規模な海外遠征。この戦いは、秀吉のアジア征服構想の一環として行われましたが、最終的には失敗に終わった。 - 1597年慶長の役
概要 再度朝鮮に侵攻するが失敗
説明 豊臣秀吉が再び朝鮮に侵攻した戦いで、文禄の役に続く第二次朝鮮侵略。この戦いも最終的には失敗に終わり、秀吉のアジア征服計画は完全に崩壊。 - 1598年豊臣秀吉が死去
概要 徳川家康が次第に力を持ち始める。
説明 秀吉の死は、彼が築いた豊臣政権の終わりの始まりを意味し、後に徳川家康による権力掌握に繋がった。 - 1600年関ヶ原の戦い
概要 徳川家康が石田三成を破り、実権を握る。
説明 徳川家康と石田三成を中心とする勢力が戦った決定的な戦いで、家康の勝利により日本の政治の主導権が徳川家に移った。これにより、江戸幕府が開かれ、長期にわたる平和な時代が訪れることになった。 - 1603年江戸幕府開幕
概要 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く。
説明 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸を拠点に新たな政権を開いた出来事。これにより、日本は約260年間の安定した封建体制である江戸時代に突入し、長期的な平和と繁栄を享受した。