【恐怖…】なぜ世界恐慌は起きたのか聞いてみた

社会

新NISAが始まってから投資に関する話題が身近でも増えた気がします。私は、インデックス投資のみ行っているので日々の値動きに一喜一憂することはほぼほぼないのですが、人によっては個別株をNISAで運用していて、日々、株価とにらめっこしている人もいます。

インデックス投資にしろ個別株にしろ、いつ世界恐慌のような大暴落が起こるかも分からないですし、そのような事態に陥った時には狼狽しないように準備しておきたいものです。

さて、今回は復習の意味も込めて、「世界恐慌」について聞いてまとめてみました。

なぜ世界恐慌は起きたのか?

世界恐慌1929年)は、いくつかの要因が重なって起きた経済危機です。主な理由を以下にまとめます。

1. 株式市場のバブルと崩壊

1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれる好景気が続いていました。株価は上昇し、多くの人が借金して株を購入する「信用取引」に依存していました。しかし、株価が実体経済を大きく上回るバブル状態になり、1929年10月24日の「ブラック・サーズデー」を皮切りに、株価が暴落しました。この株式市場の崩壊が、恐慌の引き金となりました。

2. 過剰生産と需要不足

産業の発展により、大量の製品が作られた一方で、需要が追いつかず、企業は在庫を抱え込むことになりました。この需要不足が企業の利益を圧迫し、従業員の解雇や賃金削減が進みました。これにより消費者の購買力がさらに低下し、景気が悪化しました。

3. 銀行の経営破綻

株価暴落後、銀行への信用が失われ、多くの銀行が経営破綻しました。銀行が破綻すると、預金を失った人々は消費や投資を控えるようになり、さらに経済が停滞しました。また、企業も資金調達が困難になり、倒産する企業が増えました。

4. 国際貿易の縮小

大恐慌がアメリカで始まった後、世界中に影響が波及しました。各国は自国の経済を守るために貿易を制限する保護主義政策を取りました。アメリカでは「スムート・ホーリー関税法」により高関税が課され、国際貿易が縮小し、世界的な経済活動が停滞しました。

5. 金本位制の問題

当時、多くの国が金本位制通貨の価値を金に裏付けする制度)を採用していました。これにより、各国は通貨供給を自由に増やすことができず、金融政策が制約されました。経済が悪化しても通貨を増やせないことで、デフレーション(物価の下落)を引き起こし、さらに経済が悪化しました。

これらの要因が連鎖的に作用し、世界的な経済危機へと発展しました。

世界恐慌が起こるまでの流れについて

世界恐慌が起こるまでの主な出来事を、時系列に沿ってまとめます。

世界恐慌前後の流れ
  • 1918年
    第一次世界大戦終了後
    • 第一次世界大戦が終結し、アメリカは戦争の影響で経済的に大きな成長を遂げました。一方で、ヨーロッパ諸国は戦争の影響で経済が疲弊していました。
    • アメリカは戦後の復興のためにヨーロッパ諸国に多額の貸し付けを行い、世界の経済的リーダーとしての地位を確立しました。
  • 1920年代
    初期
    1920年代の好景気
    • アメリカでは「狂騒の20年代」と呼ばれる経済的な好景気が続き、株式市場は好調で、特に工業生産や消費が拡大しました。
    • 技術の進歩(自動車、電気製品など)が産業を支え、大量生産が進み、生活水準が向上しました。
  • 1920年代
    中期
    株式市場のバブル形成
    • 1920年代半ばには、多くの投資家が株式市場に投資を行い、株価は急上昇しました。人々は「信用取引」(借金をして株を買う手法)に依存し、過剰なリスクを負うようになりました。
    • 実際の経済成長以上に株価が上昇し、バブルが形成されていきました。
  • 1920年代
    後期
    過剰生産と需要不足
    • アメリカの産業は急速に発展しましたが、生産が需要を大幅に上回るようになりました。消費が追いつかず、企業は在庫を抱え、利益率が低下しました。
    • この時期には農業セクターも困難に直面し、特にヨーロッパの農業の復興によりアメリカ農産物の需要が減少し、農家の収入が減少しました。
  • 1929年
    10月24日
    株価の暴落
    • 1929年10月24日、「ブラック・サーズデー」と呼ばれる日に、株式市場でパニックが発生し、多くの投資家が一斉に株を売却しました。これにより株価が急落し、株式市場は大混乱に陥りました。
    • その後の数日間にわたり、株価はさらに下落し、10月29日の「ブラック・チューズデー」には、史上最悪の株価暴落が起こりました。これにより多くの投資家が破産し、企業も資金調達が困難になりました。
  • 1930年代
    初期
    銀行の連鎖破綻
    • 株価暴落の影響で、多くの銀行が破綻しました。銀行に預金をしていた人々は預金を失い、さらに消費や投資を控えるようになりました。
    • 信用危機が発生し、銀行が貸し渋りを行うようになり、企業や個人は必要な資金を調達できなくなりました。
  • 1930年以降
    世界的な経済不況
    • アメリカの経済危機は瞬く間に世界中に波及し、ヨーロッパや他の地域でも経済活動が停滞しました。
    • 各国は自国経済を保護するために貿易を制限し、高関税を課すようになり、世界貿易は急激に縮小しました(例:アメリカのスムート・ホーリー関税法)。
    • 世界中で失業率が急上昇し、経済は深刻なデフレ状態に陥りました。
  • 1930年代初期
    金本位制の制約
    • 多くの国は当時、金本位制を維持しており、通貨の供給を増やすことができませんでした。このため、金融政策が制約され、経済を回復させるための手段が限られていました。
    • デフレーションが進行し、物価が下がる一方で、企業の利益も減少し、倒産が相次ぎました。
  • 1930年代
    世界恐慌の深刻化
    • 1930年代初頭には、世界中で失業率が急増し、消費も投資も大幅に縮小しました。
    • 多くの国が深刻な経済不況に直面し、特にアメリカでは「ニューディール政策」を導入して経済回復を目指しましたが、経済が回復するには数年を要しました。

この一連の流れにより、世界恐慌は1929年の株価暴落を契機に始まり、1930年代を通じて世界経済に壊滅的な影響を与えました。

世界恐慌からどのように脱出したのか?

世界恐慌からの脱出は、各国が経済政策や金融政策を駆使して行われましたが、最も顕著な回復は1930年代後半から1940年代にかけての出来事です。以下に、世界恐慌からの脱出の主な要因と対策を時系列に沿って説明します。

1. 各国の政策転換

  • 多くの国々は、金本位制を放棄することで、金融政策に柔軟性を持たせました。これにより、中央銀行は金の保有量に縛られず、通貨を増発することができるようになり、経済の流動性を確保できました。
  • アメリカは1933年に金本位制を事実上放棄し、これにより通貨供給が増加し、経済の回復が促進されました。

2. ニューディール政策(アメリカ)

アメリカでは、1933年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が就任し、経済復興を目指した大規模な政策「ニューディール政策」を実施しました。この政策は、世界恐慌からの脱出に大きく寄与しました。以下はその主要な対策です。

ニューディール政策

公共事業の拡大:政府主導で大規模な公共事業を展開し、失業者に雇用機会を提供しました。たとえば、ダムや道路、橋などのインフラ建設が行われ、経済活動が活性化しました。
農業改革:農産物価格の下落に対処するため、農業調整法(AAA)が制定され、農作物の生産を調整することで価格を引き上げる政策が導入されました。
金融改革:銀行制度の安定化のため、グラス・スティーガル法を制定し、商業銀行と投資銀行を分離することで、金融システムの安定を図りました。また、連邦預金保険公社(FDIC)が設立され、預金者の保護が強化されました。
労働改革:労働者の権利を保護するための法整備が進み、最低賃金や労働時間の制限が導入され、労働環境の改善が図られました。

3. 中央銀行による金融緩和

  • 各国の中央銀行は、金利を引き下げることで企業や個人の借り入れを促進し、経済活動を刺激しました。また、通貨供給の増加により、経済全体の流動性が確保され、デフレーションを抑制する効果がありました。

4. 保護主義からの転換

  • 世界恐慌の初期に多くの国が採用した保護主義政策(高関税や輸入制限)が国際貿易を縮小させ、恐慌を悪化させました。しかし、1930年代後半には保護主義政策から離れ、貿易の再開が進みました。これにより、輸出が再び増加し、国際経済の回復が始まりました。

5. 社会保障制度の導入

  • 経済的不安定に対処するため、多くの国で社会保障制度が整備されました。例えば、アメリカでは1935年に社会保障法が制定され、失業保険や老齢年金などが導入されました。これにより、経済的に困窮した人々に最低限の生活が保証され、消費活動が支えられました。

6. 第二次世界大戦の影響(1940年代初頭)

  • 第二次世界大戦の勃発(1939年)は、結果的に多くの国で経済を回復させる要因となりました。特に、戦争による大量の軍需物資の生産が経済活動を大きく刺激しました。
  • アメリカでは、1941年の参戦後に軍需産業が急成長し、大規模な雇用創出と工業生産の拡大が進みました。これにより失業率が急速に低下し、経済が復興しました。

7. 戦後の復興とブレトン・ウッズ体制

  • 第二次世界大戦後、アメリカを中心にブレトン・ウッズ体制が確立され、固定為替相場制が導入されました。これにより、国際経済の安定が確保され、戦後の経済成長が進みました。
  • 戦争によって破壊されたヨーロッパ諸国や日本も、アメリカからの支援(マーシャル・プランなど)を受けて、急速に経済復興を果たしました。

まとめ

世界恐慌からの脱出には、各国がさまざまな経済政策や金融改革を実施したことが大きな役割を果たしました。アメリカのニューディール政策、金融緩和、公共事業の拡大、そして第二次世界大戦による軍需産業の拡大が、経済回復を牽引しました。戦後の経済秩序の再編成も、世界経済の安定に寄与しました。

著者プロフィール
この記事を書いた人
ロジャー

Webアプリ開発を20年近く経験し、管理職なった今も時々ソースをいじるメインは営業職の管理者。もうすぐ40代。最近は、AIを活用して少しでも仕事やプライベートを面白くしていきたいと考えているおっさんです。困った事もAIなら解決してくれるはず!?

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